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春分の今日、滋賀のイベントに仲間のガイドさん達と出店していました。
今回もたくさんのお客様と新たな出会いがあり、楽しい一日となりました。
ガネーシャのチャネリングも大人氣で、久々にガネーシャさんも張り切っていました。

さて、東京に戻ってきて、たまたま駅構内の本屋さんに入ったところ、こんなタイトルの本を見つけました。

今、ベストセラーになっているそうです。
おぉ、こういう本が皆さんに支持されているのかとパラパラとめくってみましたが、なんだこれ…って感じで、よくもこんな出鱈目が書けるなぁ~とがっかりしました。
大学の教授もこの程度なのか…とすら。(失礼しました)

のちに、それが私の勘違いかもしれないということに氣づくのですけれど…。
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本の内容紹介  AMAZONさんより抜粋

イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸!
――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか――

本書は、“DEATH(原書)”のChapter1、8~16の完訳と、 Chapter2~7の原著者自身の要約原稿の翻訳文による、日本縮約版です。
本書の縮約箇所は、文響社ウェブページにて、無料公開しております(2018年12月より)。

大好評、12万部突破!
○死とは何か
○人は、死ぬとどうなるのか
○死への「正しい接し方」――本当に、恐れたり、絶望したりすべきものなのか
○なぜ歳をとるごとに、「死への恐怖」は高まっていく?
○残りの寿命――あなたは知りたい? 知りたくない?
○「不死」が人を幸せにしない理由
○「死ぬときはみな、独り」というのは、本当か
○自殺はいつ、どんな状況なら許されるのか
○死が教える「人生の価値」の高め方

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イエール大学で大人氣の教授だそうです。
3500年、あるいは、ヘルメスから数えると、8000年続く形而上学を学ぶと、ここに書かれていることが、どれほど事実と違っているかがわかりますよね。

「人は必ず死ぬ」
この時点でもう間違っています。

「人は死なない」のです。
それがどういう意味か、本当に知ってほしいです。

さらに、「不死が人を幸せにしない理由」
これも大きな間違いです。
不死ではないと考えていることで、さまざまな問題が起きています。
その証拠に一度でも地球上から争いがなくなったことがあるのか?ということです。
そのことについても、形而上学では、3500年以上前からはっきり示されています。
そこには混沌しかないと。

で、帰ってからあらためて、AMAZONさんでチェックしてみると、あらら、下記のようなコメントがたくさん寄せられています。

この本からは、形而上学のパートがバッサリとカットされています。
実は、そこに肝心な部分が書かれているのではと思います。
一方で、そのことを知って、そうまでして、形而上学の部分を日本人から隠しておきたいのか…と思ってしまいました。
いつまでたっても、スピリチュアル的には目覚めないように。
かつて、日本では霊性の高い人たちがたくさんいました。
どこにでも神が宿ると信じ、お互いに礼を尽くし、相手を敬い、自分自身の誇りを失わず、全体のためにやるべきことをやっていた時代がありました。
今では、携帯やスマホが主? もしくはゲームが神? そして、それ以外はさして関心を払う必要もない、といった人が増えています。いわゆる自己中の人たち。
霊性が高いころの日本には、自己中という言葉すら存在しなかったのではないか…と思うのです。

これには幾つかの理由が絡んでいますが、今、現在においては、形而上学を学んでいない、イニシエーションを受けていない、ということが大きな要因になっていると思われます。
そのため、自分さえよければいい。自分のことだけ充実させる。あるいは、人間だけがよければいい。自分たちの組織だけがよければいい。自分とかかわる仲間だけがよければいい。
こういう発想に立って毎日を過ごしている人が大半になってしまったのではないかと思います。
かつての形而上学の代わりを果たしていたのが、おそらく武士道の教えや神道の教えだったのでしょう。
今、形而上学は、さらに体系化され、宇宙の叡智・銀河の叡智、それらをヘルメスの教えやカバラの教え、エンソフイックの教え、アルケミーの教え、ウィッカの教え、と幅広い領域で学んでいくことができます。

3%の世界にいて、97%の世界を理解しつくすことは難しいです。
とくに、エゴがたくさんある間は、また、スピリットの五感が開いていない間は、いろいろ聞いても、「ふ~ん」で終わってしまうのです。全く理解できない話を聞いているときのような感覚と一緒です。そういう時には、どれほど凄い事実を聞いていても、聞いていないような感覚です。

ただし、イニシエーションを受けたり、スピリットの五感が少しずつ開いていくにつれ、これらの隠されていた知識を得ると、水を得た魚のように、イキイキと受け取り始めることがあります。
それは、自分の中にもともとあった叡智の領域に思いっきりアクセスしているのです。

形而上学を本氣で学ぼうと思ったら、入り口はアデプトプログラムです。

地球上で存在していて、私たちがふれられる中では、これ以外に形而上学の入り口は存在していません。
イニシエーションがないものは、結局3%の世界にいて、その中から97%を理解しようとするやり方です。
ですが、3%の世界からはどこまで行っても抜け出すことはありません。

形而上学について、知識として得ておきたいのであれば、こちらの本がおススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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