“自分らしく生きる”
これは、私にとって圧倒的なテーマでした。
物心ついた頃から、自己主張する、というのが私の特質でした。
「私はこうしたい」「私はこれが好き」「これが嫌」etc…
でも、それが受け入れられたか? と言えばそんなことはなく(笑)。
それでも、自分を主張せずにはいられなかったので、親からは「ほんと強情っぱり」と言われていました。
今、思うと手のかかる子どもだったと思うのですが、自分を曲げずに生きてきたという点では自分自身を褒めたいです。
小学校に入ってからも、多くの同級生が力のある子に従ってつるんで誰かを無視するというゲームをやっていた時も、絶対にそういうことには加担しないと決めていました。今でいういじめですね。ばかばかしいと心の中で思っていました。なので、仲良くなる友達は、たいてい、どこか変わっていました。そういう友達の方がすごく楽でした。
中学に入ってからは哲学にはまり、その後、ウェイン・w・ダイアーにもはまりました。
自分らしく生きる、自由に生きる、これが私にとって継続して大切なテーマだったのです。
それから、何十年も経って、形而上学という学びに出会いました。その頃の私は、企業で『自分の潜在能力を引き出す』そのためには、自分を知り、自分を生かすことが大切、ということを伝える立場にいました。何十年とその仕事をして、セルフエスティーム(自己肯定感・自己価値)がいかに重要かということを管理者の人たちにも伝えていたのです。たくさんの人が目の前で驚くように変わったり、自己開示をされていくのを見ては、あぁいい仕事をしているなぁと思っていたのです。
ところが、私は自分が誰か?という単純な答えすら知らなかったのです。
自分が誇れるものすべてを無くしていって、そこに残るもの、それがあなたの本質です、という言葉は何度も耳にしていましたが、その本質が何かさえ知らずにいたのです。
形而上学を学ぶとその答えはあっさりと目の前にあらわれました。ヒーラーズアカデミーと呼ぶセカンドステップイニシエーションを受けるときに、自分の本質がまさに目の前に見えたときは、感動で涙が止まらなかったです。
私たちの本当の姿とは、今、自分自身が知っている誰より(目にしているより)もすごいものです。はるかに何倍もです。
ということは、この地球で、本当の自分を知らないで生きている人は誰もが自分らしくなんて生きていなかったのです。どこにも自由がなかったのです。
結構、自由にやっているよと思われる不良みたいな生き方をしている人でさえです。
自由と思っていた生き方は、すべて制限のかかった状態の中で自由っていうだけでした。さらに、まわりの人たちを傷つけたり、自分を傷つける生き方のどこにも自由はありません。それは、形の世界だけにとらわれて現実逃避をしているだけです。
自分らしく生きる。自由に生きる。それを可能にする方法がずっと隠されていました。
1997年にはオープンになり、その知識やエネルギーを受け取ることで、どんどん自由に拍車がかかっていきます。
それまでに作り上げた思考の枠や作られた制限が壊れていきます。それは、宇宙や銀河連盟、そして光の存在と共に生きることでもありますが、ここから先は、また今度。
こちら良かったらみてください。いろいろ考えさせられます。
◆アンオーソドックス Netfilixで配信中