目覚めた人~結果の世界から原因の世界へ

 

三即一である人間の霊は、純粋な叡智です。

純粋な叡智は、人間の本質の一部です。

そこでは真理がはっきりと確認されており、もはや五感の証言や人間の意見など何ら重要性を持ちません。これこそ内なるキリスト、あるいは人の子の内なる神の子であり、これを知ったとき、疑念や疑念から生じる失望も安らぐのです。人がその修練された魂に付随する明確なビジョンですべての事物を観じるのは、実にこの内なる神という、彼の存在の頂点からです。彼はいろいろな哲学が夢想する以上のものを天と地において観ます。

人間が内側からにせよ、外側からにせよ、支配されるように心をもった肉体などではなく、心も肉体も霊的真我に従順な下僕にしてしまえることを学んだとき、人は初めから与えられていた主権を回復し、実現したことになるのです。

霊こそ人間の究極の本質です。

それは病むことなく、また不幸になることもありません。

(中略)

霊は権威をもって命令を発し、すべてのものが、その正しき支配に服するようになるのです。

人々の心の中に、近づきたる日の装いに包まれた新しい時代が、その夜明けを迎えようとしています。そして、汚れなき神の霊が、そのハートから輝き出て、扉は再び開かれ、意志する者すべてが、より壮大で、より充実した生への入り口を見出すでしょう。

永遠の若さと希望の努力の決意に震え、宇宙創成の暁からこの空に輝かしき光を放った如何なる者よりも栄光に満ちて、人の魂は今新しき時代の門に立つ。イエス生誕の時、ベツレヘムの星は今までになく強く輝きました。間もなくその光は真昼の太陽のようになるでしょう。

なぜなら、この新しき光こそ、キリストがすべての人々のハートに生まれる日を預言するからです。

 

『ヒマラヤ聖者への道』より

 

ここでいうキリストとは、キリスト意識であり、誰もの心に宿る神聖な思いです。

肉体にばかり意識が向いてしまうと、さまざまな快楽におぼれてしまったり、五感の感覚器官によって苦しむことがあります。ここでいう霊的存在としての自分を思い出し、本来の自分を取り戻したとき、そうした感覚器官からの苦しみから離れ、至福の中にこそ、自分自身の本質があることに氣づいていくことができます。

霊的存在としての自分を取り戻す最大の近道がアデプトプログラムであり、霊的存在としての自分を満たすのがDNAやフルスピリットなどのアクティベーションであることは言うまでもありません。

このようにして、目覚めた人たちが増えていくことで、シャンバラが実現していくのです。